運動会に向けて② [意識]

僕はいっぱいいっぱいになると、目先に追われ、見てくれを気にして、大切なことを忘れがちになります。
しかし、今日、東井先生の著書を再読していると、はっとさせられました。

行事には、願いがこもっていなければならない。願いが行事を活かすのだということを忘れないようにしよう。 その行事が、その行事として最高に光を放つと共に、そこで生まれた活力は、さらに次の仕事の活力となって活き続けるのでなければ、「本当の行事」とはいえないということを忘れないようにしよう。 「教育」としての「行事」は見世物ではないのだ。 『教師の仕事・仕事の心』(東井義雄著 明治図書)より

今、運動会にむかってまっしぐらです。そんなとき、東井先生のこの言葉、心に染みてきました。
深澤先生の「うらのめあて」論も思い起こしました。

何をやるにしても、「なんのために」精神を忘れずに。
「この活動が、子どもの何の力を育てているのか」ということを忘れずに指導したいと思っています。
見てくれ、見た目ではなく、足元の子どもを大切にした指導をしたい。

後一週間がんばるぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

先輩からの一言 [意識]

 自分には、今一緒に勤めている同僚で、尊敬する先生方が何人もいらっしゃいます。
 その中でも、自分がもっとも学ぶことの多い先輩のお姉さまの先生がいます。
 
  先日、その方とクラスの片付けとワックスがけをしながらいろいろなお話をしていました。
 そこで、ふとこんなお話をしていただきました。
 
 OKちゃんは、今年度よく私に『次何をしたらいいですか?』と聞いたよね?  あれは、本当は良くないんだよ。確かに仕事の仕方がわからなかったら、誰かに聞かなければならない。  でも、その時に「何をしたらいい?」というのは、自分ですべきことがわかっていない、周りを読めていない状態なのよ。  聞かれた人にとっては、「この人は、今何をするべきかな?」という考える労力を使わせることになるのよ。  一個相手の仕事を増やすわけ。つまり相手に迷惑をかけてるんだよ。  人に何かを聞くときは、「次は何をしたらいいですか?」ではなく、「次は、僕は〇〇をしたら良いと思うのですが、どうでしょう?」とか、「今、○○をするべきですか?」という聞き方をしないといけないよ。  私は、このことを茶道を通して学んだんだよ。私の茶道の先生は、ほとんど教えてくれない。  先生や先輩の所作を見て、学ぶしかないんだよ。    初めは、誰だって何をしたらいいかわからない。だけど、自分が何をするべきか、次は何をすればよいか、ということは、周りの方の動きや状況をよんでいると必ずわかるよ。  来年度から、期待してるよ♪

 ★・・・★・・・★
 
自分は、この話を聞いたとき、震えました。
 自分のだめっぷりが迷惑をかけていたことが本当に申し訳なくなさけなく思うのと同時に、あえて厳しくも愛のあるお言葉をいってくださったありがたさに涙が出るほど嬉しかったです。
 
 さて、今年度は、5年担任&体育主任&特活になりました。
 今の勤務校で高学年をするのは始めてです。今日からまた、新鮮な気持ちで気持ちよくスタートします!

失敗は成長のもと [意識]

 最近、周りに迷惑をかけて失敗をしてしまうことがありました。

 それは、先日あった「持久走大会」のこと。
 今年私は初体育主任です。
 2月中旬の行事だったのですが、「その頃はきっと研究のまとめや授業の大詰めで忙しいだろう」と1月の初めの会議提案していました。その頃はまだ持久走大会の意識も低く「まあ運動会ほど大きな行事でもないし、何とかなるだろう。」と甘い考えが心の中にありました。
 
 しかし、いざその前日となると、完走証の印刷、ゴールラインから着順審判の流れ、先生方の係分担など、周りの先生方に「どうなってんの?」と聞かれてパッと応えられない自分がいました。「なんでちゃんと把握していないの?」という厳しい御言葉が・・・(涙)
 周りの先生方のフォローがあり、何とか開催にこぎつけることができました。
 しかし私の心の中では「皆さんに迷惑をかけて申し訳ない・・・。なんでもっと準備しとかなかったのだろう」という情けない気持ちでいっぱいでした。

 持久走大会のほうは、子どもたちが素晴らしい走りをみせ,好タイムを連発!元気をぐっともらいました。
 
 大会終了後、私の尊敬する同僚の先輩から「OKちゃん、何事も根回しが大事よ。わからないことは何でも聞く!自分でわかったつもりなるのが一番だめ!わからないことをそのままにするのはもっとだめ!」
と、ありがたいアドバイスをピシャッといただきました。(こんなことを言ってもらえる自分は幸せものです。)

 今回の教訓で得た仕事術は

 ・ わからないことは、そのままにしない。(そのまま提案せず、前任者に必ず聞く。)
 ・ 行事的なこと,分掌上のことは、周りの先生方に聞いたり、学年会を利用して必ず他人の目を通す。
 ・ 周りに目を向け、誰が出張にいっているのか、急がしい仕事を抱えているのか、どの人に根回しをしておく   か、といったことを常に頭に置きながら提案をする。

  皆様にとっては「当たり前」のことかもしれませんが、自分にとってはできていなかったことです。まだまだ「甘ちゃん」です・・・。しかし、この教訓を必ず今後に生かしていこうと心に誓いました。

 ・・・★・・・★・・・★・・・・
 今日、5時間目、天気もよく風が強かったので、子どもたちと生活科でつくった凧を飛ばしました。
 あっという間に空に舞い上がる凧、凧、凧・・・。
 しかし、あまりに風が強すぎたのと、自分が最初子どもの感覚をとっていなかったこともあって、糸が絡まってしまいました。
 後半はほとんどからまった糸を必死でほぐそうと格闘していました。糸を解きながら頭の中では、
 「糸も人間関係も、絡まりすぎたらもうどうしようもないな・・・。大切なことは、糸が絡まらないようにする配慮。そして、万が一からまったときは、できるだけ早くほぐして解いてやらなければならないな・・・。 」などと考えていました。
 結局、授業終了後、1組のペアの凧は解けず、教室に持ち帰ることに・・・。クラスの子達を教室に帰し、一人もくもくと糸を解く私。しかし絡みに絡んだ糸はもうどうにもなりませんでした。

 私が「自分のせいだな・・・。初めから子供同士の間隔をあけて糸が絡まらない配慮をすべきだった。そして絡まった時の初期対応を教えてやるべきだった・・・。自分のせいで楽しめなかったAちゃんBちゃんごめん・・・。」としょげて、とぼとぼと靴箱に向かっていました。
 すると、校舎の2階から子どもの声が・・・。
 「先生ー!しっぱいは成功の元だよーー!!!あんまり落ち込まなくてもいいよーーー!!」
 「しっぱいからわかったことがたくさんあるよーー!!」
 とニコニコしながら叫んでくれています。

 その子たちを下から見上げながら、私は熱い思いが胸にこみ上げてきました。 
  
 子どもに教えていただいた気がしました。
 
 失敗は、落ち込む前に「なぜ自分が失敗をしたのか」をきちんと分析し、どこをどう直せばよいか把握して、次に活かすことが大切だよ・・・と。

「ありがとう」の力 [意識]

 私の家族は幼い娘が二人います。
 長女は2歳3ヶ月。次女は4ヶ月。どちらも本当に可愛いくてたまりませんが、食事・遊び・お風呂・等二人分のお世話で日々があっという間に過ぎていきます。
 自分はわりとちょこまかと家事をします。しかし、ほとんどは奥さんが子どものお世話をしている状態です。

 先日、妻が子どもに声をかける姿を見て心を打たれることがありました。
 
 下の子は、完全母乳でやっと首がすわりかけの一番手がかかる頃です。片時も手が離せない時期なのですが、平日はどうしても妻一人。食事・洗濯・上の子の世話など、家事を一人で回していかなければなりません。
 なので、必然的に下の子〈4ヶ月)が泣いていてもベビーベッドで待ってもらうようになります。
 
 つい先日まで、妻が下の子〈4ヶ月)をベビーベッドに寝かせて家事をする時は、「ひなちゃん〈下の子の名前)ごめんね~。まっていてね。」と声をかけていました。
 しかし、ある日から急に言葉かけが変わったのです。「ひなちゃん。まってくれてありがとう。」と。
 
 「ごめんね」⇒「ありがとう」
 
 この2つの「言葉の響き」には、私は全く違う印象をもちました。どちらを言われると心の中がいい気持ちになるのか考えました。
 「ごめんね」⇒自分は何か悪いことをされたのかな。悪い状況なのかな。
 「ありがとう」⇒自分は何か感謝されるようなことをしたのかな。良いことがあったのかな。

 どちらが心に良い影響を与えるかは自明の理でしょう。
 しかもそれが一回ではなく何回も積み重なるのです。
 口癖というものは、言葉の習慣であり、それは深層心理まで深く入り込み人格を作っていくと私は思っています。
 
 妻にどうして「ごめんね」から「ありがとう」と言うようにしたの?と聴いてみました。
 するとこう答えました。「何となくごめんねと言われたら惨めな気持ちになるでしょう。それより『ありがとう』といった方がお互い良い気持ちになるかなと思って。」
 妻の言葉のセンスに脱帽です。

 先日、ITUNEのポッドキャスト『学問のススメ』で北原照久さん(横浜ブリキのおもちゃ博物館館長)のお話を聴いているとこんなお話がありました。

 人には何事もうまくいく「良い運気の時節」と、何をやってもうまくいかない「悪い運気の時節」がある。  良いことばかり起こるときは、ひたすらに感謝をすればよい。  では、悪い運気の時は、どうするのか?  悪い時節は、「なん〈難)あり〈有り)」とも言う。そこで「なんあり」と何度も言ってみる。  「なんありなんありなんありなんありなんあり・・・・・・・・・ありなんありなん。」  いつのまにか「あり(有)なん(難)」になっている。そう。これは「有り難う(ありがとう)」なのだ。  いつのまにか悪いことばかりの状況が、「ありがとう」と言える状況に変わり、自然に感謝の心が湧いてきて「良い運気の時節」に戻っていくのだ。

 自分も、 「ごめんね」や「すみません」より、 「ありがとう。」をたくさんいえる人になりたいです。


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